0328

書き出しの一文を迷って結局いつもそこでやめてしまう、ので私は文章を書くことに向いていない。しかし書く。

 

今日は髪を切りに行った。前回からサロンを駅前の通いやすい普通のところに変えたのだが、施術も早く、シンプルに仕上げてくれるので気に入っている。多分気をつかってもらっているのだろうが、余計な会話もない。美容室に通うのがこんなに楽なのは初めてかもしれない、とまで思う。

こだわりにも色んな方向性があるということを、生活の随所で思う。知る人ぞ知る喫茶店のこだわり抜いた珈琲豆から淹れる一杯、みたいな、そういう、とにかくそういうものにどうしても私が馴染むことができないのは、私に面倒くさがりな部分があるから、そして自分の生活をいいものにしてあげようという意識がほぼ無いからだろう。スーパーで買ってきたインスタントコーヒーでも、私が良いと思えば良い。それだけだ。

 
明日はライブを見に、ライブハウスへ行く。そこは少し思い入れのある場所で、かつてそこで見たインディーズバンドのことを否応なしに思い出す。ふと思い立ってYouTubeで検索してみると、二か月前にアップロードされたライブ映像が引っかかった。何も変わっていないし、相変わらず売れていない。このバンドを心から応援していた、高校生の頃に私を慕ってくれていたあの子は今どうしているのだろうと、少し湿っぽいことを思った。

その後、その子のSNSアカウントを探してみようと思い立って、3分もしないうちに見つけた(本当に悪い癖だと思う)。難しい文学や哲学の本の写真や、映画のポスターの画像などが投稿にあふれかえっていた。「わたし」だった一人称は「あたし」に変わっていて、かつて知っていた人の「今」というのは、私にとってはもうその人のことを知らないことと同義なんじゃないか、と考えた。昔と変わっていない、と一瞬だけ思ったのだが、すぐそれが傲慢であることを思った。


私の大学生活は終わった。本や映画をつねに漁り、博学で文化的な人間になることは、ついにできなかった。本を読む目的はその行動自体にあるのではなくそこに書かれた内容を受容することにあるのだから、必要な分だけでいいじゃないかとも思えるので、それはそれでよかったのかもしれない。しかし、SNSで本の表紙の写真を挙げている同性(だいたい本の画像を挙げるのは同性ばかりだ)なんかを見ると、もう自分はだめだ、なんて思ったりもする。まったくもって冷静じゃない。

 

日記を書くと「思った」ばかりを語尾に使ってしまう。明快で無駄な湿り気のない文章が書きたい。